私は木の家が好きです。 力強く個性溢れる木々を、見事に納めた軸組み工法の家が好きです。 木に自身をアピール出来る場を与えてくれる真壁の家が好きです。 穏やかに呼吸する土壁の家が好きです。 潰れても、燃えても、全て自然に返ってゆける天然素材の家が好きです。 バラして、直して、また組める家が好きです。 手間がタダ同然であった時代に造られた、 天与の木と偉大な職人の作品である家を、住みにくいから、不便だからと、 土台や屋根が少し傷んだくらいで、ボロ屋扱いして、 手を入れればまだまだ100年以上は持ちそうな家を平気で壊し 25年しか持たない、日本全国どこにでもあるような家に替えてしまうなんて愚か過ぎます。 総論を無視し、各論に走り、やれ筋交いだの、金物だのとその断片にばかりこだわり、 あるいは、強度の為にはと、うまく丸め込まれて、 釘や、合板や、接着剤をこれでもかと使ってプラモデルの様な家を作り 壊すときは、重機で引き千切り、粉砕して、全部産業廃棄物。 こんなことをしてていいのかこの国はと・・・。 太古の昔から日本人は、とびきりいいものを造るんだが、 それを見る個人の目(識者が評価したものしか残らない。)がないのか? 伝統を誇りとして大事に守っていこうという文化がないのか? どんなにすばらしいものを造っていても、ちょっと目先の変わったものがあると 過去のものを簡単にうっちゃってしまう。はっきりいって新しいもの好き。 また、他人がそうするとみんな追従してしまうので、なお始末が悪い。 しかし、法隆寺を造ったのも、○○ホームを造ったのも紛れもなく日本人なのです。 自分の家も含めて景色はみんなのものだとは思いませんか? あなたの住みなれた家が景色の一部を構成しているのです。 市町村名は残っていても、昔の景色の断片が残っていなければそこはもはやふるさとではない。 そんな場所に帰ってみたいとは思わないはず。 2000年3月
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